ゲルニカとオセロ
ロシアとウクライナの戦争が続いている。
スペインの内戦時に起きた空爆をテーマにしたもので、反戦平和のシンボルとされ、国連の安全保障理事会議場外の壁にもそのタペストリーが掲げられている。
モノトーンで描かれたあの絵を見るたびに、白と黒の石を使うオセロゲームを連想する。
オセロゲームでは端を取ることでゲームを有利に進めることができる。
ユーラシア大陸をオセロの盤面とすると、東側は広大な領土を有するソ連、そして西の端はスペイン。
つまり、世界の共産化を目指すソ連とコミンテルンにとってスペインを共産主義化することでゲームを有利に進められるワケだ。
やらせ写真でピューリッツア賞を受賞したロバート・キャパは?
寅さんの山田洋次監督は?
山田監督などは日本共産党の機関紙赤旗に幾度となく寄稿している。
寅さんは好きだが、もし日本共産党が政権を取ったら、あの映画は真っ先に上映禁止になるだろうな。
ピカソのゲルニカは知っていても、あの内戦自体を皆さんは知らない。教わらないから。
世界的な芸術家で共産主義シンパのピカソは反フランコで、ゲルニカを描いた善組。
勝ったフランコは人民を弾圧して独裁を敷いた悪組。
と言うイメージだろうか。
内戦当時のスペイン政府はソ連とコミンテルンの後押しを受けた共産主義政権。
内戦当所に聖職者を7,000人を殺戮している。これだって充分な悲劇だ。
何しろ、共産主義は無神論だから、神さまがいることが許せないのだ。
(もし日本が共産主義国になったり、チャイナの属国になったら、皇室も神社仏閣も破壊されることになる。)
最終的に反政府軍のフランコが勝ち、独裁政権を敷き人民を弾圧する。
それだけ、ソ連とコミンテルンの影響を受けた共産主義者がゲリラ的な反抗を続けたということだろう。
どっちもどっちなのだ。
戦争とはそういうものだ。
内戦終結後40数年して、スペインはいわゆる民主主義国家の道を歩み現在に至っている。
もしあの内戦でピカソが支持した政府軍が勝っていたら?
今のヨーロッパを観ると、結果的にフランコが勝って良かったのだ。
世界的芸術家の作品だから、国連に飾ってあるから、きっと人類にとって良いものだという短絡的な見方はもう止めた方が良い。
若い人たちは知らないかもしれないけど、多くの人が好きだ言う、レノンのイマジンもその歌詞の意味するところをどれだけの人が分かっているのだろう。
私は嫌いだ。
ロシアとウクライナでも同じだ。
一方的な善、一方的な悪などということはあり得ない。
メディア、教師、権威者、世論の主張を鵜呑みにすることはもうやめた方が良い。
これだけ情報が氾濫し、緊張感がハンパない現在、自分の頭で考え、調べ、判断し、行動するクセをつけた方が、結果的に自分の大切な人たちや自分を利することにつながる。
追記
安倍晋三さんが暗殺され、その後のメディア、人々の反応、政府の対応を観るにつけ、私達が大切にしてきた「こころ」が、一部の人たちには、既に崩れ去っているのがハッキリと見えてしまった。
もしかしたら、もともと私たちでは無いのかも知れない。
一部ではあるけれど、その人たちの声は「こころ」ある私たちの声よりもバカでかく、目立つ。
そして「こころ」を持った人びとも、その声の大きさに影響され巻き込まれて行く。
そんな喧騒から距離を置きたくて、書くことも止めていた。
政府のさまざまな判断でも、安倍さんがいたらこんな結論にはならないだろう、と言えることも度々で、その喪失感はまだ癒えない。
書くのを止めていた間、少し引いたところから見えてきた、「わたしたち」を少しの間、書いていこうと考えている。
原爆の日に思うこと。
広島と長崎に原爆が投下されてから、77年の時が過ぎた。
世界はユダヤ人を虐殺したナチスドイツを非難するが、我々日本人は原爆を投下した、アメリカを非難することはない。
何故だ?
おまけに、原爆死没者慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」と、原爆が落とされたのはあたかも日本人が悪かったから、と刻んでいる。
殺害方法に違いはあれど、罪もない一般市民を大量虐殺した人道的な罪はナチスもアメリカも免れることはできない。
ユダヤ人は徹底的にナチスの行為を非難し続けているが、日本国民がアメリカを非難することはない。
したがって、アメリカが日本に謝罪することもない。
アメリカとの対立や分断を主張しているのではない。
チャイナなどの専制国家がその強権的統制国家権力の力で台頭し、自由と民主主義国家がその民主的合意形成の脆弱性の中で一時的な衰退期を迎える今、日米同盟を堅持することは、日本にとって特に重要なこと。
その上で、近いうちに起こるかもしれない危機に備え機能する同盟関係を作り上げるためにも、日本が真に独立した国になる必要がある。
アメリカが日本に謝罪することは将来的にもないだろう。
しかし、14万の無辜の民を一瞬にして虐殺したアメリカの罪を糾弾し謝罪を求め続けること。
それが当然と思える国になることが、真の独立した国家への一歩となる。
台湾緊張と情けなさすぎの日本人。
ナンシー•ペロシ下院議長の台湾訪問で、米中が緊張状態に入っている。
台湾を包囲し、軍事侵攻の模擬演習の様相である。
チャイナがペロシ氏の訪台に指を加えて見ているわけには行かないからだ。
三期目を狙う習近平氏の沽券に関わる。
それにしても、情けないやら、呆れるのは、日本国民と与野党の政治家と官僚どもだ。
実際は大した問題ではない、統一教会と政治家の関係が問題だぁ〜。とメディアに煽られたアホどもが、安倍晋三元首相の国葬には反対だぁ、と叫び、しまいには、安倍晋三元首相の追悼を誰がやるかで、揉め。
結局は中止とした。
表向きは、世論に配慮したかたちだが、本当のところは、チャイナからの強烈な圧力に屈した親中議員と親中メディアが追悼演説阻止に動いた結果であり、それを間に受けたアホ国民のいわゆる世論がそうさせた。
いい加減、目を覚せ。
まともな国になるのを阻むメディアに煽られ、亡国の道を進んでいることを。
ちょっと、自らの頭で考えればわかることだろう。
統一教会と関係議員を炙り出し排斥した結果、どの国やどの組織が喜ぶのかを。
本当にこの国の人たちは、幼なすぎる。
純粋と未熟はある意味で同じ結果をもたらすのだ。
安倍さんの灯したあかり。
国民の意思が、国葬を決定させた。
国葬の決定には、安倍元首相の遺志を継ぐ国会議員、関係諸氏の努力があった。
そのご尽力に感謝申し上げる。
併せて、安倍元首相の功績に共鳴する多くの国民、一人ひとりの心がひとつになり、岸田政権を動かした素晴らしい結果である。
聞き耳を立てる岸田政権。
次期台湾総統の可能性が高い頼清徳台湾副総統の葬儀参列。
岸田政権が頼氏の訪日を断るようなことがあれば、岸田政権への幻滅が生じるのを感じ取ったのだ。
半旗掲揚の件も然り。
かように岸田政権は、安倍さんを慕う国民の意思を慎重に聞き取っている。
裏返せば、プレッシャーに弱い政権である。
今後も岸田政権の政策には、国民の意思でプレッシャーをかけ続けることが大事だ。
あの岸田首相の涙は本物。だが。
7月14日の会見を見る限りは、安倍元首相の遺志を引継ぐ気持ちはあるのだろう。
しかし個人の感情と国政は別物。
保守であり積極財政派、親米の安倍さん。
リベラルで、緊縮財政派、親中の岸田首相。
安倍さんが望んだ日本の姿と岸田首相が考える日本とでは、その姿が大きく異なる。
そして彼もまた多くのくびきを負っている。
このほとぼりが冷めたら……。
緊縮財政派を中心とする多くの取り巻きが、そう考えていることだろう。
当面は反中、親台湾の姿勢を鮮明にしている岸防衛大臣の処遇を注視していきたい。
国葬をガス抜きにしてはならない。
安倍晋三元首相の国葬が国民のガス抜きになるよう謀っている輩も数多くいる。
国葬にしたのだから、その他のことは岸田政権のやりたいようにやる。と見ることもできる。
今後3年間は国政選挙もなく、財務省緊縮財政派の目論む政策を進めるだろう。
安倍さんの灯したあかりを大きな輝きに。
積極財政派の先頭に立ち推進した安倍さんはもういない。
安倍さんが私達に灯してくれた、希望のあかりを絶やしてはならない。
さらに輝く光にしたい。
7月の雨の中、多くの場所で名も無き多くの人々が献花された。
秋の国葬にあたり、政府でもなく、自民党でもなく、経済界でもない、名もなく、金もなく、権力もない、ただただ安倍さんの志に共鳴している市井の人々の声を国葬の場で代表する御仁が欲しい。
故人を偲び、心静かにお送りする場に不謹慎な話だとお叱りを受けるかもしれない。
しかし秋までの数カ月、岸田政権にプレッシャーをかけ続け、安倍さんの遺志を正統に受け継ごうとしている議員の方々をサポートできるような仕組が必要だ。
多くの国民の気持ちを一片の鏃に込めれば、その力は強力なものになるだろう。
岸田政権の暴走を止める声を政権に打ち込むことができるお方は居られないだろうか。
どなたが適しているのかはわからない。
自ら声を上げることはなかなか難しい。
相応しいと思われる方々に、それぞれがお声がけされたらどうか?
遺志を継ぐ方々を照らし、後押しする。
領袖を失った清和会の方々は今後、試練の時を迎えることになる。
清和会に限らず、真に安倍さんの遺志を継ぐ議員、言論人には少なからず逆風が吹くことだろう。
勿論そんなものに動じる方々ではないことは承知している。
安倍さんを慕う多くの国民が、安倍さんの灯したあかりを心に掲げ、真に遺志を受け継ぐ方々を照らし続け、後押しできる仕組みを国葬を機につくれないものだろうか。
安倍元首相の死に思う。
必死の祈りもむなしく亡くなってしまった。
哀惜、痛惜、喪失、感謝、敬愛、哀悼、悔恨、憤り、憤怒、無念、空虚、さまざまな思いが、ないまぜに、こころに浮かんでは消え、消えては浮かび、している。
関連の記事を読むにつけ、目頭が熱くなる。
この喪失感はなんだろう?
何か大事なものが突然無くなってしまった。
単に、ひとりの元首相経験者が暗殺されたと言うものではない。
安倍晋三さんを超える政治家は当分出ることはないだろう。
加えて、世界が混乱し、日本が進むべき方向を誤ってはならないこの大切な時期に、その標となる重要な人物が消えてしまう。
この歴史の流れは何を示しているのだろうか?
生前の日本への貢献に対して、心から感謝すると同時に、かなうならキリストのよう蘇ってほしい。
日本を取り戻したかった、安倍元首相。
戦後、日本はそれまで2,600年の永きにわたり培い、大切にしてきた文化、伝統、価値観を徹底的に破壊され、心の礎となるものを見失ってしまった。
戦後77年間の間に、自国のいく末を自国の意思で決めることさえできないような、国家、政治のシステムが出来上がってしまった。
自国の領内に他国の軍隊が駐留していることの異常さに気づかない、異常さ。こそがその証である。
米軍基地反対を言っているわけではない。
むしろなくてはならない存在である。
日米同盟は自由と民主主義を守り、東南アジアの平和を守る上で重要であり、今後さらに深化すべきである。
本来の国のあり方を、私たちは真剣に考える必要があると、気づかなければならないと言っているのだ。
自国民のための自国民の政治
戦後、欧米の利益にかなう動きをすれば、日本もそのおこぼれにあずかれるシステムが出来上がり、親米欧派が生まれた。
それまで小麦を食べなかった日本人に、米国で余っている小麦を食べさせるために、学校給食をパン食にする。
やがて成人したら一日一食はパン食になる。
学校でパン給食をするには、そのための法律が要る。
その法律を作るのは国会議員と諸官庁。
ヤマザキパンもパスコもこのシステムがなかったら、今の規模の会社にはなっていなかったろう
国防、エネルギー、食糧。
国の根幹に関わるすべての分野で同じことが
なされている。
そうやって戦後の復興はなされてきた。
その後、約40年程前からは、チャイナがそのシステムに組み込まれ、チャイナが潤えば欧米が潤い、日本も潤う、新たな枠組みが生まれた。
そこで、今度は親、米欧中派が誕生する。
チャイナ経済が大きくなってくるにつれ、直接チャイナの利益を代理する政官財人脈が生まれる。
欧米とチャイナの利益代理人のような国会議員が、与野党に溢れているのが、今の日本なのである。
戦後のある時期まで、生き残るには、当時のソ連の属国になる以外、これしか無かったのだ。
そういった重いくびきの中で、落ちぶれたとはいえ、今も世界第三位の経済大国であることは、日本人のポテンシャルの高さと今後の可能性をおおいに感じさせる。
しかし、安倍さんには、他の国会議員にはない、強い想いがあった。
「日本をとりもどす。」
古代から続く素晴らしき伝統、文化、人、そして日本流の民主主義を日本に取り戻す。
堅く、重く、抗うには、あまりに強大なくびきの中で、真に日本国民の利益になるための仕組みを、自己への批判も顧みず、メディアと闘い、左傾した野党、知識人、文化人、国民と闘いながら一歩一歩築いて来た、唯一と言っていい政治家なのだ。
真の安倍晋三元首相の姿を知ってほしい。
しばらくの間は安倍晋三元首相の行ってきた活動をメディアの色眼鏡つき番組で目にすることだろう。
中には消費増税、習近平国賓招待、など日本のためになるとは思えない政策も手掛けられた。
しかし、全ては重いくびきの中で行われたのである。
さまざまに利害が交錯する政治の世界では、ある程度の譲歩も必要なのだ。
安倍さんは好きじゃないと、なんとなく感じている方々。
一度安倍さんのやってきたことを、色眼鏡なしで、己の頭で調べ、考えてほしい。
例えば、北朝鮮による拉致被害者の話もメディアの話題で出るだろう。
北朝鮮拉致問題がどのような経緯で、私たち国民の知るところとなったのか。
安倍晋三元首相なくして、この問題は世に表れることはなかったろう。
被害者の救出が思うように進展しない現在でも、拉致被害者家族の方々が、
「恩を忘れない」
「拉致の解決に尽力し、日本のために働いた方だった」
「本当に打ちのめされている」
「私たちの親の世代が苦しんでいたときから手を差し伸べてくれた恩人」
「言葉にできないほどつらく悲しい」
と仰られるのは何故なのかを自分の頭で考えてほしい。
本当に安倍さんはヒトラーに喩えられるような独裁者で、死に値するような人だったのかを。
日本人のための日本を取り戻そうとした安倍さんの死を無駄にしたくない。
安倍晋三元首相が本当に成し遂げたかったことを知れば、今日本が考えなければならないこと、しなければならないことも見えてくる。
その志を受け継ぎ、闘っている国会議員の方々もおられる。
しかし、その方々の後ろ盾となり、側面からサポートしていた実力者の元首相はもういない。
安倍さんの魂
日本に必要なことを知り、それを実現しようとする人々をサポートして欲しい。
今、安倍晋三と言う政治家の魂が私たちにそう語りかけている。
どうか、稀代の大政治家の死を無駄にしないでほしい。
と切に願う。
少し前にご自宅に帰られたようだ。
厳しかった日々の闘いから解放され、昭恵さんと本当の夫婦水入らずで、お話をされることでしょう。
こころよりご冥福をお祈りいたします。
パンデミック条約。
パンデミック条約をご存知か?
国連のWHOが加盟国と進めている条約である。
・国連が特定の病気に対してパンデミックを
宣言する権限
・感染者、陽性者を強制隔離する権限
・病気に対する予防、治療法を決定する権限
・どの治療薬が安全で、誰が開発するかを決
定する権限
・治療方法、薬の効果を宣伝する方法を決定
する権限。
などが条約の骨子である。
もしこの条約が可決されてしまうと、ある病気に対してWHOがパンデミックを宣言すると、各国政府は自国民の医療衛生に関するさまざまな施策をWHOの命令に従って行うなうことになる。
例えば、日本の法律では、ロックダウンはできないが、WHOの命令があればできる。
もちろんワクチンは強制接種。
しない人間には罰則。
何かちょっと前の上海のようだ。
日本国憲法はパンデミック条約の前に無効となり、日本政府は国民に対してWHOの命令を強制しなければならなくなる。
つまりは、各国政府の上位にWHOの命令が置かれることになる。
幸い5月の会議では開発途上国の間で多くの反対があり、可決を免れた。
長い間、西欧各国の植民地を経験し、やっと自分達の意志で国家を運営できるようになった開発途上国。
なんで自国の法律のを超えた権限をWHOに持たせる必要があるのか。との思いが強かったのだ。
自国の法律は自国民で作り、運営するのは民主主義国家なら当然の権利だ。
このパンデミック条約は、この民主主義国家の当然の権利を奪うものである。
悪評高い、WHOのテドロス。
彼は医学博士でもなんでもなく、エチオピアの共産ゲリラだった人物である。
ご存知のように彼はただのお飾りでしかなく、彼に影響を及ぼしている人々がいることは自明のことだ。
誰が事務局長になってもそれは変わらない。
つまり、影響を及ぼしている人々の思惑が誰憚ることなく実行できる権限を、国家の意思を超えて、この条約は与えてしまうことになるのだ。
あなたはこのような条約が議論されていることを知っていただろうか?
何故かマスメディアも大きくは伝えず、私達が知らないうちに、これほど重要な話がされているのである。
日本国政府はこの条約に賛成している。
欧米各国も同様である。
この条約の危険性を分かっていながら、可決に向けて動いている今の日本政府に、私たちの命を本当に預けていいのだろうか?
欧米の下請け機関のような、だめだ!きしだ!政権はどこを向いて動いているのだろうか?
どこかで、軌道修正しないと日本と言う国が本当に無くなってしまう。